組織にとってコミュニケーションが大切なのは、今さら言うまでもないことかもしれません。
しかし、大切でありながら、完璧などないからいつの時代も難しさは残ります。完璧があり得ないのは多種多様な人の間のことだからです。
A社長もそのことを十分に認識しており、普段から何くれとなく社員に話しかけたり、今週はこの部署、来週はあの部署といった風に、定期的に飲みの場を設けたりしていたのです。
いうなれば、和気あいあいという雰囲気がA社には充満していました。A社長の努力の賜物でしょう。業務の受け渡しには一切ギスギスしたところがなく、A社の社員はお互いがお互いを思い合って仕事を進めているようでした。
A社は倉庫業を営む業界では中堅の会社ですが、先代からの堅実な経営が功を奏し、一つまた一つと手持ちの倉庫を増やしてきたそうです。
しかし、堅調な経営をしてきたA社も大きな危機を迎えることになりました。
A社の倉庫を行き来する物量が目に見えて落ち込みました。
こうした状況に直面して、A社の雰囲気は一変したといいます。和気あいあいといった空気が短期間のうちに吹き飛んだのです。
対策会議が何度も開かれましたが、これといった案は出てきません。会議ではありきたりの意見が述べられる一方で、経営幹部から一般社員までのすべてがストレスを溜めていったように見受けられました。
追い込まれた状況のなかで、なぜかA社長はこんな言葉がふと頭に浮かんだそうです。「親父の小言と冷や酒は後で効く」というものです。
今こそ会社が一丸となる必要をA社長は強く感じていたのですが、現状は遠く及んでいませんでした。
日頃からコミュニケーションを大事に思ってやってきたはずなのに、それがこの危機において良い方向に向いているとはとても思えません。
A社長が思うに、こうした状況においてこそ小手先ではなく、一つの目標に向かうべきでした。A社のそれが「あらゆる企業戦略にフィットする物流サービス」です。
このミッションを実現するに、「挑戦と創造」を旨としてきたのですが、ここに至ってそうした気概は皆無に感じられます。
そうした中、先代の言葉が思い出されるのです。「ちゃんと伝えているつもりでも、存外言葉は伝わっていないものだぞ」。他ならぬ若かりしA社長が、この言葉を聞き流していたのです。散々言い尽くされた、そして自分でも意識して伝えてきたつもりだったミッションの重要性が、実は伝わっていなかったのかもしれません。
もちろん、これまでもA社長は自社のミッションを社員に伝えてきました。
しかし、この大事な時に一つの方向を向けていないというのは、それが伝わっていなかったということでしょう。
コミュニケーションというのは、送り手がいくら一生懸命になっても結局は受け手側の問題なのかもしれない、と思ったそうです。それは、先代が伝えようとしてくれていたのに、聞き流していた自分も一緒でした。
ですから、危機に際して遠回りのようですが、A社長は再度、自社のミッションを社員と共有することをやり直したそうです。
それは経営幹部に対して始められ、事あるごとに一般社員へもしつこいほどに向けられました。そんなことが1ヵ月以上も続いたようです。
すると、いつもの会議に変化が現れだしたそうです。
だんまりを打ち破り、公然と上司に対する反対意見が出始めたのです。
傍から見るとその様子はまるで喧嘩しているようにも感じられましたが、A社長はなぜか安心して見ていられたといいます。
根本のところを共有できているという確信が持てていたからに違いありません。
そういう視点で見てみると、いま目の前で繰り広げられている対立意見の応酬が、本当に心強く感じられたそうです。
社員がここまでしてくれれば、あとはA社長が決断を下すだけでした。ことごとくの意見をぶつけ合った後のA社長の決断でしたから、社員に迷いはありませんでした。
一丸となって「挑戦と創造」に邁進したのです。
その結果、何とか危機を乗り切り、今に至っているそうです。困難を乗り越えたという経験もさることながら、A社長はコミュニケーションについて改めて考えさせられたといいます。
まず思い出されるのは、以前の和気あいあいとした社内の雰囲気です。
その状況は、コミュニケーションを図れているようで、ある意味そうではなかったのかもしれません。
言葉を交わすこと、情報を交換することだけをコミュニケーションと考えてしまいがちです。
しかし、会社組織においては、そのようなやり方では大きく歯車が狂ってしまうとA社長は今では痛感しています。
なぜなら、そこでは会社の目的、言い換えればミッションが共有されていないからです。これでは、「受け手側」の理解が進まないというのが、現在のA社長の考えです。
ところが、往々にしてそうはなっていないケースが見受けられるようです。
A社の場合、和気あいあいとやっていた当時は、コミュニケーションは表面上のものだったと言えるでしょう。根本のところが共有されていませんから、情報は上滑りです。
受け手側がなぜその情報が重要なのかを理解できていなかったのではないでしょうか。
その後、会社のミッションが浸透し共有されるようになると、A社では対立が起こりました。
この対立も、進むべき方向が共有できたからこそ初めて生まれたというのがA社長の認識です。その上で会社として一つにまとまれたことにA社長はコミュニケーションの意義を認めているようです。
組織力という観点でコミュニケーションを考えてみると、波風もない状態というのは、何らコミュニケーションが機能していないのかもしれません。
一歩間違えれば、和気あいあいもだんまりも社風になってしまいます。
A社を考えるならば、むしろコミュニケーションは対立を生むためにあるといっても良さそうです。また、それを通り越した先にこそ、本当の共有があるのではないでしょうか。