角界は大相撲の元横綱日馬富士が幕内貴ノ岩に暴行したとされる問題で揺れていますが、以前、この角界で叱れない親方の存在がクローズアップされていたことがあります。
もっとも角界に限らず上が下を叱らなくなったのは風潮としてあるかも知れません。
そもそも相撲は、その心技一体性といい、鍛え上げられた姿勢といい、一瞬で決まる勝負といい、すべてスカッとするものです。
それが失われれば単なる格闘技になってしまうと言えるのかも知れません。
単なる格闘技としてなら、流血もなく物足りない相撲が、徐々に人気をなくすのは当然でしょう。
しかし、同じような理由で、一般の企業でも成長エネルギーを見失っていると言えるとしたら、これは大きな問題です。
健康食品を製造販売するA社で、通信販売に取り組むことになりました。独自の販売ルートで、新たな収益源を開拓する同業者が増えたからです。同じような商品を取り扱っているわけですから、自社にできないはずはありません。
しかし、その目論見は最初の一歩からつまずきます。
まず、インターネット上にホームページを開こうとした際、従業員の中で最も商品知識がある従業員が私はアナログ人間なんですとしり込みをしたからです。
お前はアナログ以前と心の中で思いながらも、経営者は彼を叱りませんでした。そして彼をなだめながら、知人の会社の経営者に頼み、ネットを活用した商売がどういうものか教育してもらうことにしたのです。
システム専門家では距離がありますが、ブログで客を集めている会社なら、親切に教えてくれると思ったのでしょう。
しかし、彼は半日で会社に戻って来ました。
昔の頑固オヤジなら「今すぐ社長に謝って来い。石にかじりついても教えてもらえ」と怒鳴るところですが、社長は何も言わず、そのままその人材を放置したのだそうです。
私たちは誰でも「新しいこと」や「未経験分野」を怖がる傾向があります。特に小賢しい人ほど、失敗がイメージできるためか、恐れて尻ごみするケースが多いのです。しかも小賢しい人は、言い訳も上手です。
そんな時、背中を強く押すものが、叱られるという体験なのではないでしょうか。
もちろん、叱られるのが嫌だから前に進むのではありません。自分でも取り組むべきだと思っているのに、取り組む勇気が湧かない時、その取り組むべきだという思いにエネルギーを送るのが雷だからです。その時、従業員も子供のように、心が反応するのかも知れません。
ただし当然、むやみやたらと叱ればよいというものではないでしょう。特に、感情的に怒りをぶつけるだけに終わると、従業員は叱られたと感じるより、また社長がわめいているという程度にしか受け止めなくなり、効用は期待できないからです。
そこで、適正に叱るベースとして、今なぜ叱りにくいのかを考えておく必要があるようです。
叱るべき世代と叱られるべき世代の文化(考え方や感じ方)の違いがあります。
それはその子供時代の環境の差にあるのかも知れません。今の若手の多くは、同年代の子供ではなく大人との関係の中で育っているからです。本能的に大人の心を見抜く子供たちは、大人との関係の中で大人への対処法を、自然に身に付けて行きます。彼らに大人を怖がる気持ちはありません。
叱れないのは気が弱くなったせいではなく、状況を把握できていないからだけかも知れません。そして、どんどん叱れる経営者の方でも、叱ることがただ怒ることに留まって、従業員の自己革新効果をなかなか生まないとしたら、異文化に届かない叱り方をしていると疑う必要がありそうです。
新しい文化には新しい方法が必要です。
ただ単に叱るべきだと主張する復古的な風潮には、流されない方がよいと思うからです。
従業員が自己革新に取り組む組織には、新たなチャンスが次々に訪れます。
自己革新を求める指導のポイントは、時代とともに変わっています。