A社は長く続くデフレに対応して、その財務体質を筋肉質にしてスリム化していかざるを得ませんでした。
さまざまなコスト削減はもちろんのこと、資産として抱えていた不動産を売却したり、事業縮小をしたりといった具合です。
また、スリム化のなかには「仕事を進めるうえでのムダ」、つまり業務効率を上げるための諸施策も含まれているのです。
このように全社員挙げての対抗策も、国内消費の低迷とメーカー側のさらなるコストダウン要求による影響は避けがたく、肝心の受注数は伸び悩む一方でした。
手をこまねいてばかりいたわけではありません。新しい分野への営業活動はもちろん、海外拠点の設置や新規事業への参入も検討はされました。
しかしながら、今の受注状況では現状を維持するのが精一杯であり、決定的な打開策を見出すには厳しい状況でした。
そんな手詰まり感がある中、隔週1回の会議でのことです。
ベテラン社員のGさんから発言がありました。
ルーティンワークの中で何か見落としているものがあるかもしれません。売上が伸びてない以上、利益を確保するために再度コストを見直してみてはどうでしょうか」
「もう散々やってきたじゃないか」とH社長は即座に返しました。
しかしGさんは「本当にそうでしょうか。 確かに業務フローの「見える化」によってある程度は効率化できたとは思います。でも、自分で自分のことをチェックしても客観性に乏しいと思うんです」と引き下がりませんでした。
A社では業務効率化のためにフローの見直しを定期的に行っていました。しかし、あくまで自分の業務分野においてのみのチェックであったため、客観性に乏しいというのはもっともな指摘ではあります。
会議では、このまま何も手を打たないよりも、まずはできることから着手してみようということになりました。
採られた方法は、製造部門の従業員が事務部門の業務を、事務部門の従業員が製造部門の業務を終日観察しチェックすることで客観性を持たせようというものです。
結果、事務部門では「回覧すべき書類の滞留がある」という問題が指摘されました。
部品の発注書やメーカーへの納品書・請求書、また社内の各種届出など、回覧・決裁されるべき書類は多数存在します。
その日中に決裁を受けなければならないものは、適宜回覧されて決裁されていくのですが、そうでないものは他の業務の後回しになってデスクの上に滞留していたのです。
これでは、滞留していた書類が一気に動き出した時に、その最終決裁者や処理する担当者のところにイレギュラーな負荷が発生してしまいますし、現にそうなっていたようです。
生産ライン部門では以下の問題が指摘されました。すなわち、ある従業員の担当工程において、一続きの作業であるにもかかわらず、間に部品を取るために後ろを振り向く動作がある、というものです。
一続きの作業のなかで、明らかに異質な動作がそこに入り込むことは、1回ごとのタイムロスは少ないとしても、1年間というロングスパンで考えると膨大な時間になってしまいます。
事務部門の書類滞留もそうですが、作業者自身はルーティンワークに追われてしまい、なかなか気付きづらい些細な行動が、実は知らないうちに大きなロスを生んでしまっていたようです。
思わぬところに見落としを発見し、さっそく対応しました。
事務部門では、それまではある程度書類が溜まってきてから内容をチェックして回覧・決裁してきたものを、1時間おきに必ず書類をチェックして回すように変更しました。
また、生産ライン部門においては、ラインのレイアウトの再検討がなされ、振り向かなくても部品が取れる位置に部品置き場を変更しました。
一連の見直し作業を通して、A社ではこれまで見逃していたムダを省くことに成功しました。確かにA社の体質は強化されはしましたが、ここである思いがH社長の脳裏をよぎったのです。
「今回の効率化は何を目的にしていたのか」ということです。
それは、将来さらに受注量が減ってしまう事態に備えるためでしょうか。その意味合いもあるかもしれません。
では、今回の効率化で吸収できないほど受注が減ったら。 またリストラで対応するなら、これまでと何一つ変わりません。
そこでH社長は「結果」に着目してみたそうです。効率化によって生み出されたものは「時間」であることは明確でした。ここに至って「目的」もはっきり見えました。それは
「創造した時間」をどう使うかということだったのです。
「なくて七癖」と言いますから、業務プロセス改善のために第三者の視点を導入するのは効果的です。
改善に終わりはないという態度で取り組めば、きっと何かが見えてくるはずです。ただ、気をつけたいのは、効率化のための効率化にしないことではないでしょうか。
業務の効率化というのは、即利益につながるものではありません。しかし、お金で買うことのできない「時間」を手に入れることができます。ですから問題は、その時間を何に充てるかという目的意識をもつことなのではないでしょうか。