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赤坂の社労士事務所

福岡市中央区赤坂の社労士事務所「赤坂経営労務事務所」の
COLUMNです。
労働・社会保険の諸手続や助成金活用、給与計算、就業規則の
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社会保険労務士法人赤坂経営労務事務所
代表社員 大澤 彰

経営者 VS 従業員 よかれと思った措置でも

人事・労務

 経営者が、会社や従業員全体のことを考えた上で、よかれと思って決断した措置でも、当の従業員からしてみれば、納得がいかないこともあるはずです。
 お互いに守らなければならないものがあるのですから、仕方のない部分もありますが、中には、「ごね得」とばかりに、あまりに理不尽な要求を突き付けてくる従業員がいるのも、これまた現実です。
 A社は創業5年とまだ若く、従業員も7名と小さな会社ではありますが、その若さゆえの柔軟な発想と行動力が地元で重宝がられ、2年目からは早くもそこそこの利益を計上するようになったということです。
 となると、どうしても人手が足りなくなり、早速、ハローワークや求人サイトに広告を載せるとともに、自社のHPにおいても、広く人材を求める旨、告知したそうです。
 そこに応募してきたのがK君(26歳)だったといいますが、このK君、A社長の見るところによると、かなり期待できそうだったようです。

 結局、K君は他3名と一緒にA社に中途入社したそうですが、彼が期待外れであったことは、入社半年を過ぎた頃から明らかになってきたといいます。
 営業成績がさっぱりだったのは言うに及ばず、朝はモタモタと他の社員より営業に出るのが遅く、帰社すると、パソコンの画面をジーッと見つめている始末です。
 A社長からも仕事と向き合うよう促しはしましたが、彼ばかりにかまけてもいられず、入社後1年もするとK君は、A社長にとって疎ましい存在となっていったそうです。
こうしたA社長の変化を敏感に感じ取ってか、K君の態度は急激に変わっていったといいます。
 聞こえてくるのはどうにも放っておけぬ報告ばかりです。
 悪評が集まればA社長も放っておけません。即刻、K君を呼んで、その真意をただして みたそうです。
開口一番、自分の勤務態度を棚に上げた言い分を続けた挙げ句、束の間の沈黙の末、「あいつらと同時入社なのに、何で僕だけ給料が安いんですか」と、訴えてきたそうです。
 呆れながらも、A社長はK君の営業成績を振り返り、この2年足らずのうちに同期と差がついてしまったことを説明し、K君も入社当初の真摯さで仕事をすれば追い付けると励ましたようです。
 そうした状況下で新たに採用したのがT君だったといいます。営業のテコ入れはもちろん、T君はK君と同じ歳ということで、A社長としてはK君の奮起につながればという思惑もあったようです。
 ところが、このT君の採用が、A社における労使トラブルを決定的なものにしたようです。A社長の算段の半分は当たり、もう半分はまったく逆効果であったというのです。
 これまでの経緯から社内で浮いた存在になっていたK君は、T君という話し相手ができたことで元気を取り戻し、朝も二人連れだって営業に出かけていく姿が見られるようになったそうです。
 しかし、この二人の急接近は先輩社員のK君の影響力が勝ってしまったようです。
半年後、T君は先輩社員を軽んじ始め、不機嫌な態度を終始まき散らすようになってしまったといいます。

 A社長もそうした事態を放っておいたわけではありません。二人を個別に呼んで改善策を模索し、給料の話が出れば、「それで社内の雰囲気が良くなるのなら」との思いから、多少のベースアップに応じもしたそうです。
 ところが数カ月が経ったある日の朝、「社長、お話があるのですが」と二人そろって切り出してきたというのです。
 二人の主張はこうです。「自分達は正当に評価されていない」「会社の営業方針はおかしい」「給料が安い」と。さすがにA社長も我慢の限界を超え、その場で退職を勧告したといいます。
 まさか退職を突き付けられると思っていなかった二人はかなりのショックを受けたようで、その日はそのまま帰ってしまったそうです。翌日は無断欠勤、翌々日に二人一緒に現れたK君とT君は沢山の資料を抱えていたといいます。それはインターネットと一般書籍から引っ張ってきたもので、蛍光ペンでの線引きやあちこちから飛び出した付箋は二人の執念を感じさせるものでした。

 彼らは「始業時間の1時間前には出社していたのだから、これは残業になるはずだ」「毎日のように20時、21時まで働いたのに残業代がつかないのはおかしい。さかのぼって支払って欲しい」と主張したそうです。
しかし、A社長としては、早めの出社は新入社員として当然だと考えていましたし、外回りが多い営業社員には、残業代の代わりに「営業手当」として月5万円を支給していました。それは入社時の説明で納得済みのはずで、しかも残業の半分は社長も一緒に残って、指導や研修を行っていたというものでした。
 「早く二人に一人前になってほしいという思いは何だったんだ」との空しさを抱えながら、A社長は専門家への相談を重ねました。しかしながら、就業規則が整備できていない状況であったこともあり、結局は話し合いの末、解雇予告手当に加え、「給与1カ月分の支払い」「残有給の買い取り」で、二人とは和解することになったのです。
 これがA社長の経験だったわけですが、実際、労使トラブルとは経営者のパワーを根こそぎ奪ってしまうもののようです。
 
A社長はそれ以来、会社のルールを明文化する重要性に気づき、就業規則の見直しに着手したそうです。
 良い意味でも悪い意味でも、多様な人間が集まるのが会社です。社員が仕事への情熱、やり甲斐を共有してくれるものだと思い込んでいたところに甘さがあったと、A社長は振り返ります。

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