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赤坂の社労士事務所

福岡市中央区赤坂の社労士事務所「赤坂経営労務事務所」の
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社会保険労務士法人赤坂経営労務事務所
代表社員 大澤 彰

そのビジネスはまだ掘れる

経営

 市場や産業には発展段階があります。導入期や成長期では商品は売れますが、やがて成熟期に至り、斜陽期となるとだんだんと売れなくなってきます。それ故に企業はいまだ成熟期に至っていない市場を求めて開拓に躍起になります。ひとつの正しい手法だと思います。しかし、いま目の前にある市場でやれることはもうないのでしょうか。市場や産業が成熟したとのその認識は本当に正しいのでしょうか。

 市場や産業はやがて成熟すると言われます。例えば、NHKがテレビ放送を開始したのが昭和28年2月で、この年、国産初の14型、17型白黒テレビが発売されましたが、サラリーマンの月給が3万円といわれた時代に1台30万円前後と、その当時、テレビがいかに高嶺の花だったか分かります。
 現在、日本のテレビの普及率は約95%です。残りの5%はテレビが買えないのではなく、あえて導入していない家庭でしょうから、普及率はほぼ100%と考えていいでしょう。
 テレビの市場はまさに成熟しています。
 ほとんどの世代がテレビを購入し終わっている状態のことです。
 需要を供給が上回ると市場・産業は成熟していきます。そのため企業は常に新たな市場を開拓することに余念がありません。
 しかし、いま向き合っている市場に対して他にできることはないでしょうか。
 
 豆腐が好きかと訊かれれば、とりわけ好きと思ったことはないけれど、けっして嫌いでもありません。
 豆腐に対してごく一般的な嗜好の持ち主でしかなかったAさんがなぜ豆腐メーカーA社の社長をしているのかというと、結婚相手の父親がA社の社長をしていたからです。ただし、会社を継ぐことを前提とした婿養子といったケースではありませんでした。

 A社は戦争が終わって間もないころ、まだまだ国民が満足に食べられなかった時代に、細々と商売を営む町の豆腐屋さんとして始まりました。
 創業者のまじめな仕事が認められて、やがて町で評判の豆腐屋となったといいます。二代目にバトンが渡されると商売はさらに拡大し、A社の経営はたしかな軌道に乗りました。
 経営は安定したと言えますが、厳しい見方をすれば停滞期に入ったとも言えました。
 ただし、それはA社だけの話ではなく、業界全体の傾向でした。
 A社がそうであったように、他社の商品構成も昔ながらのものでした。豆腐には木綿と絹ごしがあり、他には油揚げと厚揚げというのが基本的なものです。
 ちょっと気が利いたところは、ざる豆腐や汲み上げ豆腐がそれに加わるくらいです。
 すなわち、豆腐業界全体で見てみると、決まった商品ラインナップを提供するほぼ一定数の同業他社が、成熟した市場を分け合うという状況だったそうです。

 A社長は入社前ある食品メーカーで働いており、かなり優秀な営業マンであったことから、A社においてもその役割が期待されていたそうです。
 ところがA社長は先代に対して、営業ももちろん力を入れるが、豆腐作りも教えてほしいと頼み込んだそうです。
 先代にしてみれば断る理由がありません。むしろ、それだけ家業を真剣に考えてくれていると喜ばしいことでした。
 なぜA社長が豆腐作りに携わりたいと思ったのか、それには前職での経験が大きく関係しているようです。
 A社長は前職の会社で食中毒事件を経験しました。
 自社の商品から食中毒が発生し、同工場で生産された全商品を回収、トップ営業マンだったA社長は取引先ばかりか、消費者のお宅にまで謝罪行脚の日々を過ごしたのです。
 ある消費者から突き付けられた言葉が忘れられません。
「どういう経緯でこんなことになったのか説明してください」
 至極真っ当な質問です。ところが、A社長はこの質問に答えられなかったのです。
 トップ営業マンの自負が少なからずあったA社長ですが、自社の商品の製造工程をまったく知らなかったのです。
 ですから、妻の実家が営む豆腐メーカーに入ったとき、A社長は弟子入りするというような決意だったそうです。

 工場服が身体に馴染んできたころ、A社長にひとつの気づきがありました。
 豆腐作りを学ぶと同時にスーパーなどへの納入作業もこなしていたA社長が引っ掛かったのは、豆腐売り場にほとんど変化が見られないということでした。
 スーパー等の小売業界では、豆腐に牛乳、食パン、鶏卵を加えて「白物4品」と呼びます。日常の食卓にのぼる生活必需品であり、消費者はこれらの鮮度に最も敏感だそうです。
 ですから、これらの納入業者間の競争は熾烈で、その代わり一度納入が決まれば、滅多なことでは商品の入れ替えはないので、メーカーは安心できます。
 スーパー側の本音を言えば、白物4品の品質に大きな違いは認められません。ですから、仕入れるなら昔から付き合いのあるところからということになります。
 豆腐業界は成熟しており、ほとんど動きがないと書きましたが、それにはこんな事情もありました。
 A社長はここを突破口にできないかと考えたそうです。品質に遜色はなく、商品ラインナップもほぼ決まっている豆腐。
 どこで差別化を図れるか、工場の仲間たちとの議論が始まりました。
 当初は目新しい商品を作ることに軸足を置いていましたが、早々に行き詰まりました。やはり古くから日本人に愛されている食品だけあって、簡単にはいきません。
 そこで大幅な方針変更が図られました。豆腐の弱点を克服することにしたのです。
 それは賞味期限の短さでした。

 俗に「豆腐に旅をさせるな」と言われるそうです。風味落ちが早い商品だからこんなことが言われるのでしょう。それは事実です。一般に売られている豆腐の賞味期限は5日ほどしかありません。
 この原因は、実は明らかでした。豆腐の製造工程において、大豆を煮込むことが必要です。ですので、出来たての豆腐は80度ほどになります。
 この後、豆腐を水にさらして、冷めたらパック詰めするというのが一般的です。なぜ水にさらすかというと、パック詰めは手でするのが業界の常識で、となると冷まさないと扱えないのです。
 実は、水にさらすという工程が豆腐の賞味期限を短くしていました。35度程度まで冷やすのですが、この温度は雑菌の繁殖しやすい温度でもあったのです。
 この弱点を克服するためにA社長のとった行動というのが機械化でした。もちろん、これまでも業界では機械化は進んでいました。しかし、それは前工程までで、冷やしてパック詰めの工程を機械化するのは最大手でも手を出していませんでした。
 冷やすという工程を省こうという発想自体がなかったのです。

 この工程を機械化するのに2年かかりましたが、A社は引き換えに従来の3倍にまで豆腐の賞味期限を延ばすことに成功しました。
 業界にとっても、小売店にとってもそれは衝撃でした。
 成熟産業と呼ばれるように、ピークを過ぎたと思われる産業はたしかに存在します。しかし、その産業は本当にピークを味わったのでしょうか。そのビジネスに発展は望めないのでしょうか。
 A社の事例からはそんな自問をしたくなります。

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