「優秀な人材」が欲しいという経営者は多いのですが、そもそも、その基準とはいったい何なのでしょうか。
その基準について、また、企業にとって採用活動がどんな意味をもつのかを考えてみたいと思います。
A社は社員50名で日本茶に関連する事業を営む会社です。
元々は日本茶の製造・販売をしていた会社だったのですが、徐々に取扱品目を増やしていきました。
事業拡大を行う中でA社長は海外にも目を向けました。欧米の健康志向を当て込んで、試しに日本茶を輸出してみたところ、これが大当たりしたのです。
それからも徐々に海外での売上割合を増やしながら、今に至っています。
順調に思えるA社ですが、採用の時期になると、A社長はいつもちょっとばかり気が重くなるのだそうです。というのも、A社は新卒採用を毎年行っていますが、ここ数年は、正直言って期待外れの結果となっているからです。
特に海外に活路を求めてからというもの、語学に通じた人材の採用に力を入れてきたのですが、思ったような働きをしてくれなかったり、1、2年で早々に退社していったりというケースがほとんどだったそうです。
ですから、A社長は採用時期の前になると、「さて、今年はどんな方針で」と考え込んでしまうのでした。
しかし、いくら考えてみても、いつも考えが落ち着くところは一緒です。つまり、「とにかく、優秀な人材がほしい」というものだったのです。
始まった採用面接。面接は3回に分けて行いました。
1回目の面接には語学に堪能な学生が多く集まりました。募集要項に「海外展開に力を入れています。あなたの語学力を存分に活かしてください」とアピールしているのだから当然でしょう。
しかしながら、A社長は応募者と言葉を交わしてみて、確かに彼らの語学力は素晴らしいのだろうけど、なぜか自分がそれほど彼らに惹かれていないことを自覚したといいます。
一通り面接を終えて、この気持ちは何なのかとA社長は考えました。それは、応募者から返ってくる言葉に対してまったく共感できないところに原因がありました。
例えば、交わされたのはこんな会話です。
「御社ではどんなスキルが身につけられますか」
「うちは海外とのやり取りが多いので、主に英語を使ったメールのやり取りは日常的ですし、海外出張もあります。そこでは英語での交渉も学べるだろうし、ビジネスでの生きた英語を身につけられると思います」
こうしたやり取りに応募者は納得顔をするのですが、それがどうにもA社長にはしっくりこないのです。
スキルを向上させて、自分の能力を存分に発揮したいとの気持ちからの質問なのでしょうが、A社を踏み台にして、ステップアップしたいとの思いが透けています。A社長には入社試験のときから転職を考えているとしか思えませんでした。
そこでA社長は、応募者とのやり取りがそうした方向に流れてしまう原因を突き詰めました。そして、A社長自身が「こんなことをやりたい」ということを、応募者に生で伝えていないからではないか、と思い至ったのです。
つまり、「優秀な人材」を求めるあまり、応募者のアピールポイントからそれを会社のどこに役立てられるかを考えていたわけです。
しかし、そうではなくて、私たちは「これがやりたい」ということを明確に彼らに提示して、彼らが共感してくれるか否かを見極め、その上で、彼らの能力を活かしてもらうよう促すべきだったと気付きました。
以降の面接からはA社長はまず経営理念を語ったのです。
これを前面に押し出したうえで、各人と言葉を交わしました。
すると、応募者の反応の変化はてきめんでした。相変わらず、一方的にどんなスキルをと訊いてくる者もいましたが、A社長の思いを受けて、そこでなら自分は頑張れると決意を露わにする者もいたのです。
面接を通してA社長が採用を決めた者は、いずれもA社の理念に共感してくれたとA社長が思えた人たちでした。
そして、入社してしばらく経ってみて、A社長は今回の採用方針が間違っていなかったことを実感したそうです。
一連の採用活動とその後の経過を追ってみると、A社長はつくづく「優秀な人材」ということを考えさせられたといいます。つまり、世間の基準の「優秀」とA社にとっての「優秀」は違うということです。
どんなに語学に堪能でも、どんなにITに関する知識が豊富であっても、それが即、会社にとって「優秀な人材」ということにはなりません。
なぜなら、会社の個性はそれぞれに違っているからです。なぜ個性が出てくるかを考えてみると、それは会社によって実現したいビジョンが違うからに他なりません。
新たに社員を採用するというのは、そのビジョンを一緒に実現するのに力を貸してくれる人を雇うということです。
ですから、どんなに世間一般の基準で「優秀」であっても、会社のビジョンを共有できない人は、その会社にとって「優秀」とは言えないのではないでしょうか。
今一度、ご自分の会社にとっての「優秀」を見直してみてはいかがでしょう。