会社は組織ですから、自ずから人の助けを前提としています。いかに仕事を任せられるかで、会社のその後は大きく変わってくるのです。
A社は業務用資材の専門商社です。専門商社とはいっても、社歴は5年目とまだ浅く、従業員も決して十分ではありません。
A社長はもともとの業界経験者でしたが、他の従業員は未経験者のため、必然的にA社長が一人何役もこなすことになります。
朝、社員を前にしてみんなの行動を確認し、やる気を刺激した後は見積書の作成に入ります。午後からは新規の商談がひとつと得意先を回る予定が入っていますから、何としても見積書は午前中に片付けておかなければなりません。
しかし、別の得意先から納めた備品の具合がおかしいと電話が入れば途中でも駆けつけます。そうして、1日の予定を終えてやっと帰社すれば、見積書の続きが待っています。
A社長には自分一人が忙しく働いている感覚がありましたが、A社ほどの規模の会社ではそれも仕方ないと考えていました。念願かなって起業したのですから、いま働かなくていつ働くんだという思いもありました。
そのがんばりの甲斐あってA社の評判は上々でした。何しろレスポンスが速く、商材も幅広く、アフターケアが充実していました。
売上は右肩上がりで、経営は軌道に乗り始めたと言えました。
そんな折、大学時代の恩師B教授を訪ねました。
今でも事あるごとに相談や報告をするなど、大学卒業後もずっと懇意にしているそうです。
母校の教授室での語らいは大いに盛り上がったそうですが、社内旅行の話題をきっかけに話の矛先は意外な方向に向いていきました。
それは海外での日本人観光客の振る舞いについてでした。
B教授は、「日本人は外国語を完璧に話そうとするからいつまでたっても話せない。それではいつから外国語を話せるようになるか。話し始めた日からですよ」
間違っていたっていい、まずは話し始めることが大事なのだとB教授は語ったのです。
外国語を完璧に話せる日を待っていたら、永久にその日はやって来ない。大学からの帰り道、A社長はこの言葉を反すうしていました。
A社長は自分一人が忙しい理由を、実は薄々気づいていたようです。ごく単純な理由です。気づかないわけがなく、知らない振りをしていただけです。それは、仕事を任せないからというものでした。
完璧に仕事を任せられる日を待っていたら、永久にその日はやって来ない。
早速翌日から、A社長の行動は変わりました。と言うより、変えました。仕事を任せるようにしたのです。
たまたまその日は、今日の営業で契約が取れるか否かの大事な案件がありました。直接の担当者である入社5年目のCさんは資料を揃えてやる気に満ち溢れて見えます。
出発予定のちょっと前にCさんを呼んで「今日は君ひとりに任せる」と言ったとき、彼の表情がみるみる曇っていった様子は忘れられません。ただ、Cさん以上にA社長は不安だったのです。
じりじりした時間を過ごし、電話が鳴るたび身体が反応しました。会社で鳴った3度目の電話で待ちかねていた報告を受けたとき、A社長はどっと力が抜けました。
「よかった」というのが、偽らざる感想でした。それは契約が取れた喜びではなく、仕事を任せたこと自体が間違いではなかったことを確かめられたからです。
任せてみると、実に呆気ないものでした。会社に戻ったCさんの顔は喜びと自信に満ちたものでしたし、A社長自身も任せることがどういうことか分かった気がしました。
しかし、そう簡単ではないのが「任せる」ということだったのです。
その日以降も、A社長は部下に仕事を任せました。例えば、提案書に添付する各種資料の作成です。Cさんの件で気を良くしていたA社長ですが、どうにも期待通りにはいきませんでした。
何度任せてみても返ってくるのは、誤字や脱字、あるいはデータの数字が間違っている資料です。
その都度、ここが間違っていると指摘してみたり、間違いの箇所を指摘せずにやり直しと突き返したりとやり方を変えてみましたが、結果は変わりませんでした。どこかしら間違えているのです。
任せると決めましたが、A社長は言わずにいられませんでした。
「Dさん、また間違いを3つ見つけたよ。これは本来なら君が見直して潰しておくべきことなんだ。それができずに社長である僕が見つけたことを「恥ずかしい」と思わなければいけない。「なぜなら、君は自分の責任を果たしていないんだから」
しょんぼりとしたDさんの姿を見て、A社長は「任せると決めたのにやってしまった」と後悔したそうです。ところが、効果は覿面でした。間違いが減り出したのです。
何が効いたのでしょう。
キーワードは「責任」でした。Cさんを契約の場に行かせたとき、契約が取れなくてもいいと覚悟を決めていました。入社5年目でクロージングの場に何度も同席させたのだから、自分の責任でやってこいという気持ちでした。
翻ってDさんに任せた提案書、任せたとは言いつつも、最終的な責任はA社長が留保していました。クライアントへの提出前に必ずA社長が再度チェックし、間違いがあれば最終的にA社長自身が直していたのです。
それをDさんは知っていましたし、A社長も当然と考えていました。しかし、それが責任の所在を曖昧にする結果となっていることにA社長は気付いたのです。
誰かがやってくれると思っている内は、責任感など生まれません。任せるべきは「作業」ではなく、「責任」でした。
そこまで任せてみて、やっと期待する結果が「徐々に」現れたのです。責任を任せるのも、今日から外国語を話すことと似たようなところがあるようでした。
責任を任せるとは言っても、最終的な責任がA社長にあることからは逃れられません。
ですから、部下に仕事を任せはしても、放ったらかしにすることはしませんでした。
適切な時期に、部下の仕事を横取りしない程度にアドバイスを与えたのです。基本的には見守る姿勢です。最も辛いのが余計な口出しを我慢することだったそうです。
会社は人の集まりです。なぜ集まるかといえば、一人ではできない仕事を成し遂げるためです。そのためには仕事を任せなければなりません。